わたしの名前を呼んでください

あれと母胎。
呼び方によって印象が変わる。あれ*1だと、無機質な感じ。母胎だと肉感的というのか温かみを帯びるもの、慈愛*2を伴う。どちらが間違っているということはなく、どちらもあれを表現するものである。
……呼び方なんていくらあっても別に構わない。最終的に指すものは同じで、それを直に指す呼び方なんてないのだから。ただ、母胎という呼び方をいいなと私が思うこと、それが何か変化したことのように思うのである。最初は無機質で機械的なものとして捉えていたが、そこから慈愛を捉えるようになった。これは、私の立つ場所が変わったということだと思う。要は、あれにすがる部分が強く目立ち始めたということ、出られないということで諦めが生じ始めているということなのではないか。
それにすがり救いを求めることは、愚かしいことだと思う。
反発すれば、反抗すればいいというものでもないが、しかし、考え直したときに行き着くところは、反発・反抗であると私は思う。

*1:漢字一文字

*2:暴力性を含む