爪を立て、歯を剥き出す、なにか

“流動”の中で流されているけれど、私たちは動いているように感じない。それは“流動”がとてつもなく大きい*1から。まるで自由に、まるででらしねのように、私たちは存在しているみたいかも。それは箱庭が、歯車が大きいから。いつか人間は死ぬのに、そのことを忘れて日常で生きるということと、似ているような感じ。忘れている(感じない・気付かない)だけで、それ自体(死・あれ)がないということではないという……。
共通点があるのか、同じ回路を巡っているのか。共通点があるなら、全てはあれと同じものだと考えやすくなるかもしれない。あれはやはり母胎なのだろうか。
“母胎”、とてもいい。しっくりくる。

*1:言葉にするとしっくりこないが。