人という字は支え合って出来ているといいます。私は色んな人から支えられていますが、誰のことも支えられていません。私は人に何もしてあげることなく、荷物として迷惑をかけています。
一人で立っていられない人が、誰かを支えられるはずなんてない。
他人に興味が持てない。どうしたら、他人に興味をもつことができるのだろうか。自分の好きなことがよくわからない。何をしているときが楽しいのか、わからない。食事も睡眠も、そうしたいからしているのであって、そこに楽しいという感情は伴わない。それは絵も同じことで、楽しいから描いているというよりも、描きたいから描いているだけで、殆どの場合楽しいと思っているわけではない。人と一緒にいるときは楽しいと思うことが多いけど、それはどうなのだろう。私は他人の手を借りなきゃ「楽しい」と思えないということになる。なんか、楽しいってなんだろうか。辛いこと、苦しいことならいくらでも見つかるのに、前向きなものは何一つとして見つからない。
私は他人がこわい。他人と一緒にいると、自分の欠点を短所を思い知らされるから。そして、それら全てだけで自分が構成されていることがわかるから。欠点を短所をなおす努力をすればいいと人はいう。そのとおりだとおもう。でもそれができない。私がクズ人間だから。それができていたら、こんなことで悩んでいないだろうとおもう。

「そうおもうけど、わたしにはできない」と言っているその一点だけで、究極的なクズであることが伺える。

努力ができない馬鹿は、救いようがない。