魂を静観し、身体を従わせ、精神を走らせ、母胎を超える。

別に何かあったわけではないのだけど、多分、見ないようにしていたものを見てしまったんだと思う。そんでもって、自分の無能さを痛感したから、そうなる。

…しかし、私が無能でも、私は器でしかないのだから関係はないんだろう。問題は私ではなくてあれだから。
なんかおかしいなと思う。私は私自身以外の何者にもなれず、これ以外の視点を持つこともできないから、私を主軸と考えねばならない。そして考えるしかない。だが、あれを持ち出して自分を器と見ると、私は主軸でないように思える。いや、主軸なのだがもう一つ主軸が存在しているような感じがする。もう一つの主軸が真なる主軸とでも言えるもので、私は一部分…?*1
この感覚は以前に感じたものと同じものだろう。感覚の核は肉と皮を変え、姿を変えて、現われる。私は違う姿の同じものを何度も感じ、核を捉えようと同じことを口にするのだろう。何度も何度も何度も何度も。


いや、器である自分が腐っていて無能であるなら、あれを捉えることは余計にできないと考えられるのではないか。だとするならば、もうなにも、なにも。



臭い。宗教臭い。あれは宗教も呑み込むことができるし、あれ自身が宗教色を帯びていても問題はない。問題ないどころか、帯びていて当然とも言える*2。宗教の骨の部分がとても重要であって、肉の部分はいらない。臭いは肉から発せられる。宗教自体が肉だと言えるが、それを作り上げているのは骨だ。その骨が、あれとふかく関係している。

*1:いつもの話に戻る。

*2:母胎だから。