くそいぬだから咲えない

人との距離感を測れない、全力で走り寄る感じ、恥ずかしい。他意はない。
前に友人と話したことを思い出した。「人に頼って嫌な目にあったことがあるから、人には頼らない」と友人は言ってた。私は嫌な目にあったことはほとんどないけど、後悔するようなことは多々ある。友人は学習して、人に頼らない。私は学習できずに、人に頼る。そこに能力の差も加わって、プラスのものはもっとプラスへ、マイナスのものはもっとマイナスへ行くのか。


なんだか本当に笑えないほどに、ものを知らないんだなあと思った。
専門的なことなんてもちろんのことだけど、それ以外のしょーもないことから常識、色々な物事、私は知らない。知らないことにも問題は大ありなんだけど、それらを知ろうとしないことはもっと問題、大問題だと思う。頭に入ってくる感じがしない。頭を使っている感じがしない。私の頭はハリボテか? なんだか脳みそも精神も、魂があるならそれも、腐ってる気がする。


もし腐ってるなら、面白い図ができると思う。腐ったものから絶対的な何かが伸びている? 腐ったものに絶対的な何かが刺さっている? 腐ったものがあれ*1を感覚として捉えている、それって何だか変だけどおかしくはない。腐っていようがいまいがそれらはここのものだから、あれの断片を捉えていてもおかしくはない。…とも言えるのだが、それとは別に何か。
飽くまであれはダミーでしかない。腐ったものがもつあれもダミーだ。しかし、そのダミーは腐ってはいない。腐ったものが腐っていないもの・反対のものを生み出す*2ことの不可解さ。無から有が生じるということと似ているのに、それとは違う感じを受ける。
あれは多面的だし、なんというか色々なものでもあるから、これは色々な人が色々な解釈でそれぞれ掴んでいると思う。私がこうだと思っているそれも、その中の一つにすぎない。 最近時々思う。私は器*3みたいなものなんじゃないかと*4。器自体に意味はない。“思考”するための器。 ? わたしはどこに立ってる?
嫌だ、オカルトめいたことも宗教臭いことも、嫌だ。

*1:ダミーだが

*2:あれが内からでてくるものなのか、完全に外側にあるものなのか。腐っていないあれのダミーを生み出すということ。言い方はおこがましいが…

*3:または踏み台

*4:口寄せとか、神を降ろすとか、そういう意味合いでの器ではない。