汝、サンズイにオンナと書いて、汝

「“自分”って邪魔じゃない?」
「“自分”がなくなるのが怖いくせに、何を言う」
「まあ、そうなんだけど、なんか邪魔くさい気がする」
「どう邪魔なの」
「例えば見方の統合についてだって、自分がなければ躓くことなかった」
「いつぞや片方がなくなることは良くないって言ってなかったっけ」
「……言った気もする、かも。あとはさ、同じことだけどさ、骨に肉を付けないで考えられるじゃない」
「その考えているのは“自分”でしょ、ってのは的外れな質問なんだよね?」
「勿論。存在としての自分というのか、個人ではなくて、性質としての自分、“動き”として現れた自分の話なわけです。イメージとしては前者は[全体]、後者は[中身]のような」
「全体と中身。具体的にどう違うの」
「全体は中身も含めて、全体。なんとなく、生物とか人間、人としての意味合いを強く持つ感じがする。どちらかというと、自我とか“動き”のような、精神的なものをあまり含んでいないもの」
「さっき個人と言っていたが、個体として認識しているように思える」
「それで他人に伝わるかは微妙かなあ。それに反して中身は精神的なものが強く関わってくる。そして、これは二つの種類にわけることができる。一つ、[精神の純粋な動き]。一つ、[自我の色を含む精神の動き]」
「自我も精神の一部のはずだけど」
「自我は特殊なものと考えるよ。あまり良い意味合いを含まないからちょっとあれなんだけど、自我は不純な動きだと思ってる」
「骨と肉か」