刻み込む

今日は家に帰ってから気分が最悪。

些細なことで気分が落ち込む。

 

 

いくら考えても私はこの中のものでしかない。

考えることによってそこから出られるわけではない。

出られている気になってるだけ。そんな気がしているだけ。残念だ。

ならば神も仏も巻き込むべき、と思う。とはいってもぜんぜーーーん大したことではないんだけどさ。

論考に関することを考えるとき、神仏を懐疑的に感じる。

論考を書くなら、それを持ち続けるなら、神仏を否定しなければいけないのかもしれないと考えることが多々あった。

でも、ここの中のものである私がここの中のものである神仏を否定する必要あるのか?

ここの中でうごめいている私が、ここの中の流れや動きに左右されていないはずがない。

私はここのものであるという意識をもっと強くもって論考に臨むべきなのではないか。

 

と、書いてても揺らぐ。

本当にそうなのか、と。

ここの中のものであるという意識は強くもつべきだろうが、ここの中のものであることを全肯定していいのか?

それって開き直りって言いませんこと?

じゃあさ、ここの中のものであることに抗うとして、それってどういうことを言うわけさ。

論考を書くこと、考えること(そうすることで外側を見ようとすること)くらいしかないわけじゃないっすか。

あとは本当、悟りを開くとか。

なんすか、最終的に宗教に行くんすか?

 

何をしていても「ここのものです」って紹介しているだけなのか。