で、お前は何がしたくて、今何をしているワケ?

馬鹿であること、歩く恥部であること




目標という目標がないのは、耳が痛いところ。
正直に、はっきりと、ズバッと、ギャロップ、言うならば、もう全部すっきりキッパリ辞めちまえよってことなんじゃないだろうか。
元々が微々たるものだけど考える力がなくなってしまった気がする。そしてあまりにも馬鹿。「それについて考えたい」という、バースデーケーキの上で燃えるちっちゃいロウソクの火みたいな気持ちのみ。これは意味がなくて、ムダで、恥ずかしいことで、他人に迷惑をかけてるんだと思う。
ただの執着かもしれず、意味も生産性も何にもないことだけど、それについて少しだけでも考えていきたいと私は思う。
自分の中身がカラッポだから、それにすがりつこうとしているのかも知れない。日々の暮らしの中でそれを見失うことなんて、しょっちゅうだ。
でも、カラッポな私でもそれについて考えることはでき、それについて考えるとき、私の価値は関係ない。日々の暮らしでそれを見失ってもそれ自体がなくなるわけではない。気づいた瞬間から常に私の傍らにそれはあり、消え去ることはなど決してない。これは断言できる。
それの話を人にできるようにするために、勉強をしようとしていたんじゃなかったんだっけか。手段か、そうか、手段か。あまりにふわふわしていて、ちゃんとしたものではないけど、これも一応目標だ。


それについて。
それは全部を含むから複雑だけど、とてもシンプルなものだ。秩序も混沌も一緒くたにして、シンプルなんだ。
ただひたすら球体を描くこと。


それを考えるとき、考える人の性質は関係ないと言っていいだろう。
個人は所詮柄杓でしかなく、問題にしているのは水なのだから。