私は描の絵を猫いたか

「天才でもどんな大馬鹿野郎でも、真理に近づく可能性は等しいって思うんだなあ」
「自分が大馬鹿野郎だから、そうであってほしいってだけなんじゃ」
「そうなのかもしれないけどさあ」
「どうせ、天才も馬鹿もここのものだからって理由なんでしょ」
「いや、まあそうとも言えるかもしれないけど、考える側の問題じゃなくてさ、真理に近づく方法ってさ、なんていうかさ、曖昧じゃんか」
「曖昧?」
「うん。考えることが真理に近づく方法だとしてもさ、それって何だか曖昧じゃない」
「考えるといっても、ただ単に頭の中だけで考えると想定するから良くないんじゃないの。それこそ曖昧でしょ」
「そうかあ。じゃあ言い方変えるよ。真理に近づく方法ってわからないじゃない」
「真理が何なのかがわからないけど」
「今話してる真理は「物事の本質」みたいなものって考えて。例えば自我の本質とかね」
「自我の真理を得たら、自我について完全に把握できるってことでいいの?」
「そう。軸とか多面性とか含めて自我についてわかっちゃう。真理、ちょべりぐ」
「真理がそういうものだとして、それに近づく方法ってわからないのかな」
「考えることって真理に近づく方法だと思うけど、やっぱりなんか……曖昧っていうか」
「考える以外にも、実験したりとかするじゃない。頭だけで考えると決めつけてるからダメなんじゃないの。2回目だけど」
「うまく言えないんだけど、こうすれば絶対に真理に近づくっていうものってないじゃんか」
「あったらすごいね。両手をチョキにして笑顔でスキップしながら白目をむいて考え事すると真理に近づくとかあったら、ちょっとやるかも」
「それと同時に、これをやれば絶対に真理に近づかないっていうものもないんじゃないかなって」
「何も考えなければ近づかないんじゃない?」
「なんにも考えないなんて実際できないでしょ。できたら無の境地だで。悟っちゃうよ」
「それはそれで近づくのか……!」
「あ、いや、私が言いたいのはそうじゃなくって、真理に近づく道筋っていうのは存在はしているとしてもそれを自力でどうにかすることはできないって言いたいの」
「運?」
「それにすごく近い何か、みたいな」
「じゃあ勉強やら研究やらを否定するの? 道筋を寝て待てと言うの?」
「否定しない(というかできない)し、寝て待てとも言わない。それらが無駄だと言いたいわけじゃないし、それらはすごく重要なこと」
「でも、天才も馬鹿も真理に近づく可能性は等しいと考え、真理に近づくものが運に似たものに委ねられてるとするなら、考えたって考えてなくたって同じと言えるじゃないか」
「確かにそうとも言える。でも、真理に近づく可能性が等しいとは言ったけど、その可能性は限りなく0に近いものだ。ほぼ確実と言っていいほど、多面性の一つを得るだけで真理には近づかない。寝て待っても多面性の一つ一つは中々得られないし、限りない多面性を一つ一つ得て一つ一つ潰して真理に近づくことが一番確実だから、考えていくことは絶対必要だと思う」
「じゃあ、最初の「天才も馬鹿も等しく真理に近づくことができる」というのは間違っているんじゃない? 深く考えて多面性を得ていく方が真理に近づきやすいと言えるでしょう」
「でも、運に近い何かが重要だと思うんだよ……。それがないと堂々巡りするだけというかさ。説明難しいなあ……」
「逃げるな」