何で、本のページは岩よりも重いんですか

ここに溶ける私。溶ける私を自覚する意識。意識は浮いているのか、溶けているのか。内外一致、神と自分の立ち位置。
私は客観を持っていない。他人の集合体は、客観を持ち合わせていると考える*1。主観は内、客観は外。客観の極みは神の視点のようだ*2。では、主観は神の視点から最も遠いところにあるか。否、主観が神の視点だとしても問題ない。全部を見渡せる位置になくてもいい。一点しか見られなくとも構わない。紙に黒点を打ち虫眼鏡で日光を当てると燃える。その様。一点から全ての様相がひっくり返る、変化する。火が走るように急激に、スイッチを切るように唐突に。しかし、その様相は真ではない。変容もまた真ではない。元々無色のものに色をつけているような感じがする。原色はわからないし、わかることはない。
“神と呼ばれるもの”は全てを掌握し、自分は一点を見続ける。同じ“動き”であるから、立ち位置もあやふやになる。

*1:個人個人ではなく

*2:ここで神という名はよろしくないかもしれない。よろしくない。