嫌だろうが、私も嫌

死にたいものは死にたい。消えたいと言い変えてもいい。とにかく、なくなってしまいたい。本人にとっちゃ全然笑い事じゃない。そりゃあ、他人にとっちゃそんなこと取るに足らないことだろうし、もっと辛いことだってあるんだろうけど、だから…なんだ……。*1
他人に話してもどうもモヤモヤが晴れない。それは最終的には自分がどう思うか、自分でどうにかしなきゃいけないものだから。打破できたらスッキリするのだろうか。打破できるのだろうか。打破するのだろうか。なんで、打破しようとしているのか。そんなのわからない。


苦痛。いるということは常時何かしらかんがえる*2こと。友人だろうがそうじゃない人だろうが、会って話をしてみても、自分のことでいっぱいいっぱいで苦しいのには変わりなく、一人でジッとしていても、やっぱり苦しいのには変わりない。寝ているときが一番いい。
昔は昔、今は今。昔にできたことが今できないのであれば、それはもう無意味だろう。そして昔をもって今を評価することもできない。

混同。まさしくそのとおりだと思う。話したいことと話せることと、話すべきこと。一番大切な話すべきことがない。もう、話したいことと話せることは自分の問題しかなくなってしまった。退化。

禅問答。これもまさしく…。荒さはここからも来ているんだと思う。


何と言えばいいのかよくわからないけど、真綿で首を絞められている感じ。他人と会っても変わりないか余計に締まる。自分の問題が、自分の周りを壁に変える。

サクッと。

*1:この死にたいと、寒くて死にたいは違うって

*2:そのかんがえることは私が望んでいるものとは別物で、見方の統合の統合されるべきだと考える方を指している。感情とかそんな感じのもの。