目を見ぬ人


死にたい。今までの思い出したくないことまで蘇ってくる。あのとき私は気付いていなかったが本当はこうだったのだろう…あのときはこういうことがあった……なぜ。
他人ではなく自分、自分。全部自分が悪い。それはわかっている。引き起こしたのも自分、傷口を広げたのも自分。傷口が化膿して腐ってきているのも自分。全てが自業自得。ね、死ねばいいのにね。


人に隠し隠し話をしていて、これから誰かに全部を話せるのか心配になる。正直なところ、今現在で自分が誰かに話せるようには思えない。勿論他人の問題ではない、自分がおかしい。死んでしまえばいいのに。
話すようなことでもない、ただの我儘で話したいと思っているだけだ。それに価値なんてないんだから。そんな(自分にしか)価値のないものを口にするのは、とてつもなく横柄だし、恥でもあると思う。それでも口にしようとしたり、口にしたいと思うのは、自分の汚さや醜さを表わしている。それこそ壁に向かって話して満足できればいいのだろう。他人を欲しないということは、ある意味“完全なこと”であるように思う。私にはそれは無理だと感じるから、余計にとてつもなく羨ましく感じる。自分で完結すること、自分に価値を持つこと、他人からの価値を求めること、死んでしまえ。


謝るに謝れず、言い訳するにもできない。


見方の統合もできない。流されてばかりで、うまく立てない。


死にたい、けど死ねない。死ねばいいのに。死ぬ価値もないかもしれないけど、死んでしまえばいいと思う。死ぬ価値さえもないって悲しいことだね。死んでしまえばいいのに。価値のないわたしは生きるに値するのか。死にたい。死んでしまえ。