他人はスバラシイ。何故あんなに素晴らしいのか。素晴らしき他人に囲まれたとき、それに感化して進もうとするのでなく、それに怯んですくむ私は死ねばいい。
本当に死ねばいい。私個人が死にたくないとしても、死んだ方がいい。死ねばいい。死んでしまえ。
自分に価値をもてない。価値に重きを置きすぎているようにも思える。もうとにかく死ねばいいと思う。死にたくはないが、死ぬべきだと思う。そして誰か言ってくれればいい、死ねと。
他人から死ねと言われることと、死ねとさえ言われないこと。言ってくれた方が、いいかもしれない。ここでも他人に頼ろうとする、死ぬべき理由。
死ねないのだから、死ねとも死ぬべきとも言ってはいけないのだろうけど、言わなきゃ気が済まない。だって死ねばいいモノだから。それでも死なないのは醜いし汚い。クズの証明。
何故クズでゴミで死ねばいい自分をうっちゃれないのだろうか。なんで死のうとしてくれないのだろうか。怖いからか。中途半端に後悔しそうだからか。
自分の価値、自分であることの価値、他人からの価値。全てがない場合、どうやって生くのか。自分なのに自分であることに価値をもてないとか、死んでしまえ。
死にたい。