ぺらっぺら

方法序説
そういう、くだらないこと、それを前提にひとりごつ。
神は完全、(それ以外)自分は不完全なものだというが、こぎとさん、「我思う故に我在り」と言って確かに存在している自分は神と対等な立場と言ってもいいんじゃないでしょうか。自分以外の存在が無いと仮想でき、尚かつ自分というものは確実に存在していると言い切ることができるのであれば、そこには大きな違いが生じている、はず。そしてその違いは存在という根本にある。
それだけで神と同等とは言いにくいか。それに全知全能でない、不変でない自分は不完全云々と言っているということは、神は完全なわけだから…*1。不完全な自分とは対にならないか。
他/自分/神 と三つに分けることはできるはず。または 他・自分/神 とも分けることができるのではないか。後者の場合、身体を置いている場所を否定することになる。精神は身体からいずるもの*2である(と考える)から、基盤を否定すればその上に成り立つものをも否定することになる。

(省略)私は一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。*3

「存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない」。それは先に書いたけど、やっぱり神に近いものなんじゃないのか。この人は神と自分らの違いをどう考えているのか。完全性の違い? 宗教的な…
自分(と神)以外を否定できるとして、残るのはそのふたつなんだから、対等に近い関係のように思えるんだけどな。否定できる可能性を含むということで、実際に否定しているわけではないから関係ないのだろうか。しかし、その可能性を含むということで区別がなされるわけだけども。


何か見落としてるのかもしれない。読み返さなきゃいけないんだろう。人には話せないはなし。

*1:意見が違える。私は、完全でなくとも神と同じ立場に立つことに違和感を感じない。

*2:そして身体は精神に突き動かされる。へびのしっぽをくわえる。おかえりなさい、脳問題。

*3:P.47