サカナの肉

本を読むことと食べることは似ている*1。“顎が弱い”とそれを呑み込むことができない。ただひたすら噛み続けることになる。噛み続けているうちに、段々と腹がふくれてきて食べる気がしなくなる。そして吐き出したり、無理に飲み込んでも消化されずに終わってしまう。
感想って(中身のあるものは特に)、栄養を摂った上で出てくるものだと思う。ただ噛んでいただけの私から出てくるものなど、人様からすればカスでしかない。
…と言うのは簡単、人様にも失礼のないようなカスでない感想を言うのは難しい。読書感想文とか嫌いだった。今もあまり好きでない。面倒だし、大体自分の言いたいことしか言えないから。例えるなら、肉料理を作れと言われても魚で料理を作るみたいな。「魚の身だって、肉じゃないですか。骨でもないし皮でも鱗でもないんですから。だからこれは魚の肉料理なんです」とかいう感じで。逃げてるんだろう、自分がわからないものは書けないから、なんとか書けるものとすり替えてるんだろう。
方法序説もそうだ。方法序説には方法序説の答えがある*2。その答えは読み込んだり理解力がある人がわかること。私にはよくわからん。私は文章をなんとか読んで、意図関係なく、思ったことがチョロッと浮かぶ程度(しかもカスとか。笑えない。)。その浮かんだことはデカルトの意図を(ある程度でも)汲んでのものではないから、「方法序説を読んでの感想」でいいのかどうなのか。くっだらないことだしね。
追記。話せるほどのことならいいんだけどねえ。

*1:食べることは色んな事に似ているとおもう。

*2:その答えが合っているとかじゃなくて。答えというと違うか。デカルトの意図。