脆弱からキョウジンへ

今もまだ引きずっている。性転換したいとは全く思わないが自分が女であることが嫌になってくる。女であることがダメなことに思えてくる。別に好きで生まれてきたわけでないのと同じように、好きで女になったわけじゃないのに。私はどうすりゃいいの? 馬鹿にされるしかないのか。ってか性差についてうじうじしたくない*1。しにたい。
なぜ今回の発言が非常に不愉快なのか考えてみる。相手は女性というものを全否定しているわけではない(と思う)。性差があるといいたいのだろう。他のことでは逆もあるだろうが、テツガクやシソウを構築していくのは男性の方が優れていて、女性はそれよりも劣っている、と。しかし、私としてはそういう“考え”ていくことは自分の中の一番重要な部分であると考えているために、そこを否定されてしまうと存在そのもの、自分が生きている理由*2を根本から否定されることとなってしまう。ここがまずとても不快なのである。また、性別というどうしようも出来ないものを否定されることにも不快感を感じる*3
思考についての性差、テツガクに優劣がつくという考えを聞かされて気持ちが悪い。肉体的な差があるように脳みそにも性差があっても、シソウはともかくテツガクにまで優劣がつくというのだろうか。何かを掴むこと・実感を得ることに対して優劣がつくというのだろうか。それはおかしい、おかしいよ*4

*1:こういう性差の問題は不穏な雰囲気を感じる。気持ちが悪い

*2:個人的に定めるもの。個人を超えた理由は存在しない

*3:性転換も可能であるからどうしようもできないわけではないと考えることもできるが、それはここでは何か違う気がする

*4:テツガクの捉え方の違い。種類のちがい? があるとおかしいと言い切れなくなる気もする。わたしが思うテツガク、相手が思うテツガク。しかし、それでも考える・感じるということに他人から優劣云々言われるのはおかしいと思う