のきなみしんだ

理由がちゃんとあれば、書けるはずだ!
そのとおりだ!


以前、知り合いとご飯を食べに行ったときの話。
ケイカクショとかシガンショが書けなかったという話も相まって、知り合いに「あなたが何故テツガクをやりたいと言ってるのかが分からない」と言われた。「(テツガクを)誰かに強制されているわけでもないし、何かそうするべきだというものもない。それでいて、それに対する熱情も感じられない。それでもそれをやりたいと言う。そこに大きなネジレを感じる」。
熱情については何も言われたくない、としか言えなかった。本当はそれも言い返しちゃいけなかった。
そして。言われて嫌だろうけど、と前置きをされて、「自分が考えているということも、余程のことでなければ昔の人が言っていることだし、それを知らないというのは問題だろう。昔の人の考えを理解した上で考えなければいけないだろうし、テツガクなんかは特にそういうものなんだと思う」と諭された。でも、と私がムキになる。「でも、昔の人が言っている“今”と、私が今いる、ここの“今”は違うわけで……*1」。知り合いは冷静に対応し、「いや、昔だからとか時間で左右されるものではないでしょう。テツガクは」と返した*2
私があそこで変にムキになって言い訳(?)をしたことはおかしいし、そこからうまく笑えなくなったことや、「そうですね」と投げやりになったことは最低なことだった。そして、このやりとりは以前も行なわれたもので、毎回そのたびに涙目になるという脆弱っぷり。なみだがちょちょぎれますね。


私は、私に対する発言に良いか悪いかを求める悪いクセがあるようで、そこを指摘された。
例えば「雰囲気が変わったね」と言われると、それは以前の雰囲気から悪くなったということなのだろうかと考え、それを口にしてしまう。「それって悪い意味で、ですか?」。
良い悪いでないのに、そこにそれらを求めるのはおかしいだろうと言われ、確かにそうだと思った。なんで私はそこに良い悪いを絡めようとしているのだろうかと考えてたら、なんとなく、いつもの結論にかえってきてしまった。要は、自信がないからなんだろう。他人の目が気になって仕方ないんだねえ。悪い意味だったどうしようか、悪く見られているんじゃないだろうか、と気になって仕方ないんだね。他人は他人で、自分は自分なのにねえ。そこ、すごく残念だよね。他人なしで生きていけませんって言ってるんだもんね。


自分の考えが大多数に属すると思うの*3? と聞かれ、どうだろうと考えた。どっちとも言えるんじゃないかと思う。属するという場合は、悪い意味合いで。平々凡々な考え方です、と。属さないという場合も、悪い意味合いで。大多数の考えの綿密さに至らない、と。
この人は、別に悪い意味合いでも良い意味合いで言ったわけでもなく、ただそのまんま「大多数には属していない」ということを言いたかったんだろうと思う。その後のことはよく覚えていない。多分、上の、私の悪いクセが出てそれを指摘されて話が逸れたんだと思う。ただ、今思い出してみて、その人の性格というのか見方を考えると、観察された上での発言・態度であったことは事実だろう。無知ですしね、何も言えないんですが。




ご飯の話とは関係なく。
悪い癖や性格は直さねばならないのはわかっているが、もう、なおらない気がしてならない。水飲み場の牛じゃないが、少なくとも私がそう思っている内はなおらないのであろう。「純粋さのない子ども」であり「ゆとり」であり「自由奔放」で「世間ズレしてい」て「雰囲気が(一瞬?)病んでる」ひと。そして、これの何がすごいって、全て人からの指摘だということ。私が私でなく他人であれば、こんな人間と仲良くなりたくないです。いいとこなしの悪いとこだらけというのは…………やっぱり、なおさねばね。

*1:時間としての“今”というより、感覚や実感、存在しているという意味合いでの……。

*2:ちゃんと説明をしなかったためか、食い違いがあると思う。この食い違いをほったらかしにする態度、誠実でない。汚い。

*3:私の考え方が少数派であるという話の流れで。