あけてたよ! おめでとう!
今年はがんばるぞい。
年末にNHKにてドラマ「岸辺露伴は動かない」をやっていて、とりあえず録っといて一昨日1.2話、そして今日3話を観終えた。
ジョジョ4部は読んだけど「岸辺露伴〜」の原作は未読の私ですが、とにかく面白かった。
特に1話。「富豪村」超面白かった。
ただ、感想書きたいのは一番面白かった1話ではなく3話の「D.N.A」。
途中からなんかやべぇな……京香と太郎別れねぇよな……? と不安に思いながら観てたらやっぱり別れたよ……。
なんか普通に寂しかったぞ。
最後、京香は京香で太郎の幸せを喜び、太郎は太郎で幸せに過ごせるようになって丸く収まっている。
収まっている、が! 太郎くん、他人(臓器提供人)の幸せのレールを走らされてません……?
なんというか、臓器(提供人)に乗っ取られてる感ありませんか。
自我は太郎くん自身のものだろうし、完全に提供人になり代わっているわけではない。
しかし、提供人の代わりとして生きていってませんか。
うまく言えないんだけど、それ、太郎くんにとって幸せなんか?
で、疑問に思ったあとになんなんだけど、多分幸せなんだろうと思う。
別に臓器に操られてるとは思わないだろうし(臓器が操ってるという話でもないし…)、女性と子どもは受け入れてくれてるわけだし、普通に収まるべくして収まってるわけだし。
臓器を提供してもらった代わりに提供人の家族と共に生きていく、ある種の契約(というと強すぎるけど)みたいなもんだと考えることもできるし、
そんなんじゃなくて、提供人の強い愛の力なんだよ! なんて言ってもいいかもしれない。
たださぁ、どっちにしてもさぁ、提供人の幸せを否応なしに背負わされてる感がするんだよなァ。
幸せなんてもんは張本人が感じていればそれが幸せなんだから、これも幸せなんだけども。
なんか……代理人させられてるよなぁって思っちゃう。
自由意志を持つ人間である太郎くんは、臓器の記憶を持つことによって太郎くん以外のものになってはいない。つまり太郎くんは太郎くんであり、臓器の記憶も含め、太郎くんである。
そうであるならば、太郎くんが選んだ道は紛れもない太郎くん自身が選んだこととなり、何の問題もない。
とも言えるが、やっぱりなんか……納得いかねぇずら。
感動ものなんだろうけど、後味悪い。
もっと言うと気味が悪い。
流石にそれは言い過ぎか。そういう話じゃないからね。
※臓器提供に対して反対とかはありませんです。