「お前は生きたいのか、逝きたいのか、行きたいのか」

何かのきっかけでとっかかりを見つけることがあるのだが、ここから先になかなか進めない。だが進めない・進まないことで自分を守ってる部分があるんではないかと感じた。先日実感が湧いてきたときに酷く動揺して不安になった。
(自分はヒトリだった、だから助けてもらえるはずなかった。他人は自分と同じ位置にあるものだから、私を助けることなんて不可能だった。助けてあげることも不可能。巻き込もうとしてもムダで巻き込んだとしてもムダ。ヒトリなんだった。なんで忘れてたんだろう!)
実感がなければ、こんな風にヒトリを思い出すこともない。誰かに話を聞いて貰いたいとも思わない。……しかし、それでいいとは絶対に言えない。もし私がヒトリであることを忘れてしまったとしても、それが変わるわけではない。もし私がアレを忘れてしまっても、アレは変わらずにそこに存在し*1、私はその中でいつか死ぬ。死ぬ。死んでも解放されることはないだろう。解放されることは永遠にないだろう。私という自我が消滅し私が私を分からなくなっても、それは解放ではないんだから。
そしてもう一つ感じたことは、このことをうかつに誰かに話すと危ない人と思われるのではないかってこと。これは今更な話? 周りの人に話さなくて正解だったのかもしれない。

愚問愚答

「私は、超えたいのです」
「超えることが具体的にならない限り、言葉遊びにしかならないだろう」
「対象に具体性がないから、具体的にどうすればいいのかがわからないのです」
「ではお前はそうやって口だけで足掻きながら流されるつもりなのか。そうしている間に流れに呑まれて見失ってしまうのではないか」
「アることで、もう呑まれています。それの超克は飽くまで希望にしかなりません。残念ながら、これを実現できると思ってはいません」
「悲しいな」
「悲しいし苦しいです。だから“超えたい”のです」
「でもムリなんだろう」
「諦めるよりはマシですから……」

*1:表現が違う。そこに存在するんじゃない。それ、である。