モルモットからフェンリル

あれを敵対視することはそれを認めていることと同義。認めていることは忘れていないということ。他人の考えに左右されないということは、あれが私の支柱となっているということ。
守られているのか、守っているのか。あまりいいことではないだろう。でも、これを咎める人はいない。周りにそれを知る人がいないから。だからきっと咎めるのは自分自身だけだ。