尾を振るケダもノ

名前は大切。あれを話すのに人を選ぶが、どうしても話さねばならないときがあった。そのとき、あれの名前を出さずにかるい説明をした。全部説明するのは嫌だから、かるく、かるく。でも、名前を隠したことで、なんとなく安心して話せた気がする。枠組みという仮名。…しかし仮名であっても、それを人に話すのには何か嫌な感じがする。あれが、あれを考えるということが、私の唯一の価値*1だと思うからなのか。
それについて考えるということは大切なことだ。感情にながされるということ、そしてそれについて考えなくなることは不誠実なことであり、よろしくないことである。しかし、人間という性質やその中の劣等種としての性質を含め、感情に流されてしまうことが多いし、あれから出ることを諦めている節がある*2
考えねばならない。例え出られないとしても、呑み込まれ続けてしまうとしても、考えて抗わねばならない。生きている意味はそれでいいのではないだろうか。

あれを呑み込もうとする私は、あれに呑まれ、あれに救いあげられる。
ねえ、神と自我は同等なんじゃないのかなあ…………

*1:私にとっての。

*2:その姿勢は、飼い慣らされたケモノのようであると思う。