溺れる者は、超必死

昨日の続きのようなもの。
私たち(存在)の周りには空白はない。ぎっしりみっちりと敷き詰められている、満たされている。それは“無”ではなく、仮死状態の可能性。無限数に存在する可能性の中ポッツーンとある私。勿論、その私も可能性の性質をまとっている。
ないものなんて、ないのかもしれない。厳密に言えばあるのだが、それは全てひっくり返したところにありそうだ。