傷に流し込む絵の具

紙と、その上に細かく描かれた複雑な記号。
“ここ”はとても複雑なものの集合体。一個一個が複雑な記号。でも、“ここ”そのものは、至って簡素なシンプルなものなんじゃないんかなあ*1
複雑な記号は互いを把握しあう*2けど、記号は紙を理解できない。

性質を持ち合わせる以上、私は“ここ”を知ることはできない。
ならば死ねよと言われるかもしれないけど、ところがどっこい鳩サブレ。死んだところで解決はしない。死んでも“ここ”にあるのだから*3
知ることはできないかわりに、意味付けをしているのだろうか。私が“ここ”を“ここ”と呼ぶ、あれの名前を口にする、どういうものかを説明する。その行為は、それらを“知る(理解する)”からしているのではなく、それらを“つくりだしている”からするのではないか*4
「考えるからそれが在る」のではなく「考えないからそれがない」のでもない。
自分の存在から四方八方に根っこを伸ばすイメージ。可能性。
色。
(繋がったのか、今考えていたものが上書きされてしまったのか)

*1:追記:“ここ”そのものがシンプルといえるのか、あれがシンプルなのはわかるのだけど。

*2:一方的に知ることも含む。人→物。

*3:無としても。

*4:妄想とか想像とか、ないものをあると言うのではなく。