傷に薬

うちのゼミは超放任主義である。発表内容も卒論の内容も自由で、先生がそれに対して批判めいたことを口にすることは一切ない。例え調べが甘いものでも、口頭で詰まってテレビでいう放送事故のようなことが起こっても、全く怒らない。見守るだけである。
今年度初めてのゼミが終わったあと、数人で先生と話をした。卒論ってどうするんですか、授業中に何か指示があるんですかと尋ねると、「個人的に持ってきてくれれば添削する。引用箇所・引用もとを明確にして、コピペしなければOK」とのこと。つまり授業で卒論の話は触れないということ。他のゼミもこんな感じなのかな。
発表も卒論のテーマもほんとうに自由ですよねと話をふると、先生曰く「(発表が)自分の専門だと粗が見えて「これくらいしか調べてないのか!」って思ってしまうが、専門外のことだとそれがわからないから」と。本当にいいのか、それで。
そのあと、先生は卒論をはじめとするものに対しての考え方を語り始めた。その考え方がとてもいいと思った。

その分野の権威に認められなくても落ち込む必要はないと思う。それは、その意見・考えがその個人(権威)に合わなかったというだけかもしれないから。バッハだって当時はあまり有名でなくて、死んだ後XXXX*1が発掘して有名になった。逆に、その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに今じゃ名前さえ知られない音楽家だっている。他人の評価で一喜一憂するなんて馬鹿らしいでしょ。*2

これは私にとって良薬となるか、毒薬となるか。
どちらにしても、この考え方はとてもいいと思う。

前回の発表は目も当てられないほど悲惨なものになってしまった。今回はどうにかこうにかちゃんとしたものにしたい、そう思っていた矢先に自分の発表の順番が最初の方に決まってしまった。5月中旬か下旬か。まきこみたい。
それと共に、発表とは別に3分間ほどのスピーチもするという。勿論内容は自由。自分の興味・関心事が少ないことに悩んでるときに、何を話せというのか。

*1:名前失念

*2:それと一緒に、ある日本人のピアニストの話もしてくれた。独自の弾き方で弾いてた人で、日本で認められた後に外国へ行ってみたら認めてもらえず、弾き方から否定された。そして最終的にノイローゼになり飛び降り自殺をしてしまったという。今聴いてみても否定されるような悪いところはなく、現代風らしい。名前はわからない。