なにもなきもの

自分の考えに呑まれていると指摘された。その通りだと思う。私は自分の考えに完全に呑まれている。
自分の考えを打破することが難しい。もっと言ってしまえば、無理なことであると考えている。どの考え方も、今の考え方が呑み込んでしまうから。それは驕りだと感じるが、しかしそうであるとしか私には思えない。
私の考えというカタチを乗り越えたとしても、それが問題なのではなく、そのカタチをはなったソレが問題。だから他者の考えを呑み込んでも、それに呑み込まれても、何にもならない。例え偉大な人のものであっても。
私の中でそれはもう“私の考え”を超えたものになっている。しかし、考えというカタチになった“私の考え”はもはや本当に指したいそれではなくなってしまっている。

傲慢、思い上がり。言う側の理由とか諸々がよくわかる。その通りだ。でも、それでも、私はこの考えを変えられない。それは私が思い上がっているからなのか、その考えに固執しているからなのか、それともそれがそうであるからなのか。



もしこれを人に話すとしたら。
それを説明するには初めから話す必要がある*1。把握*2されることを嫌がってはいけない。もういいという諦めの態度をとってはいけない。あとは誰に話すか。そこが問題。話すことを諦めた方がいいのだろうか。

*1:どこから、何を、話す? 一つを話せばその途中で説明しなければならないものが出てきてこんがらがる。

*2:理解とは違う。モルモットとして扱われること