無意味無意味無意味ィ!

目の前のものごと、自分の感覚の範囲内でのものごとにのみ焦点を当てて生きることは可能。
多分問題なく生きていける……はず。
感覚に欺かれていようが何だろうが、生きることに問題はないはず。
じゃあ、感覚の範囲外のものごとを考える理由ってなんだろう。
それらが存在するという証拠(?)はなんだろう。
全部が全くの無意味であると考えたとき、目の前にある巨木が根のないものだと捉えたとき、感覚外のものも「意味のあるもの」と一緒に排除されちゃうんじゃないかな。
そうじゃなくて、目の前のもの一つ一つが根のない木であると考えるか、自分を含んだ森自体が根のないものだと考えるのかで違うのか。
前者は徹底的。突き詰めていくと、自分の行動や感情にも言及していくのかもしれない。お腹が空いたからものを食べる、面白いと感じたから笑う、そういう風にできているからそれをなぞっているだけみたいな。
行動と感情、行動と動機がひとまとめ。わけられない感じ。
無意味というか、無味乾燥っていうか。