恥さらしなわたしの頭ん中

一足早く、母帰還。一人暮らし(モドキ?)も終了。これからバカに賑やかになる。たった3人なのに。わいわい。
早くも家庭内に不協和音が響き渡る。母は親戚らに私が「プー」だと言っているご様子。言いたいように言ってもらって構わないけど、そんなの一々報告しなくともいいよ……*1。進む方向についても溝。自分でも進みたい方向にちゃんと進める気がしないというのもあって、ああ申し訳ないな、クズだな、としみじみする。大学卒業とともに終了とかならいいのにね、ゲームみたいにさ。パチッと。エンドロールなんか流れちゃってね。そのとき「シニタイヤツハシネ」を流して欲しいねえ。マイナス振り切ってプラスな曲。
もし生まれてきたのが私でなかったら、もっと良質な人間になったのだろうか。そうなら、両親には申し訳ない。これこそ、焼き土下座ものだ。




本当のところ、諦めた方がいいのかもしれない。そうはしたくないが、向いてないんじゃないか。残っているのは実感・感覚のみ。他人からの「向いてないんだから、辞めちまえ」が怖いから、私は何も言いたくない。


…いや、実感と感覚があるなら、まだ頑張るべきなのではないか。どうせ辞めろって言われたって、ウジウジクヨクヨメソメソするが辞めないだろう。0か100なんだから、やるか辞めるか。辞めないならやらねば。
誰が何と言おうと、この実感と感覚は紛れもなくあるものだ。これを他人に伝えられないこの状態は非常にマズイが、これらがあることは非常にいい*2。流されているこの状態は非常によろしくないが、これらを感じることができるということはまだ希望がある。文章が書けないのも、やる前にできないと思い込んでいる節はないだろうか。書いても無意味だからと思っているからではないか。無意味だけど、誰かに見せられないかもしれないけど、書くだけ書いてみればいいのではないか。誰か見てくれるかもしれない、誰かに見てもらえるかもしれない、誰かに見て貰いたくなるかもしれない。本も読めないけど、読めるようになるかもしれない。慣れなんじゃないのか。読まなきゃ始まらない。諦めている部分が多いのではないか。根本はまだ腐ってないんだから、まだ頑張れるんじゃないか。実感が感覚が、あれが、ある限りは、まだ諦めるわけにはいかないんじゃないか。流されたくないなら、まだ言わなきゃいけないことが、あるんじゃないか。馴染みこんでいる違和感、どうしようもないからと流されていること、見方の統合。たとえ自分が部品であっても、言うべきことはあるんじゃないか。性質を超えること・剥ぎ取ることができないとしても、言わなければいけないことがあるんじゃないか。無意味であっても、思考が核心をえぐれずとも、部品でも。

*1:余談。その場にいる親戚全員から就職勧められるあの雰囲気、いたたまれない。

*2:一概にそう言い切れないが。