一歩違えたならば

寒いと死にたくなる、と言ってもわかってもらえない。
死にたくなるという表現が問題なんだろうと指摘されるが、いや、この表現は適切だ。「あ、死にたい」って思うから、(極度に)寒いと死にたくなると言ってるんだってば*1。眠たくなるとか、死にそうになるとは違うんだってば。嫌なことがあって、気分が落ち込んで、もう希望も何もなくて、と言うときの「死にたい」とも違う。この「死にたい」はドロドロしていて、重たい感じがする。しかし、寒くて死にたいの「死にたい」は、ドロドロせずカラッと軽い「死にたい」である。かる〜い感じ。健全な「死にたい」とまでは言わないが、悲壮感のない「死にたい」。感覚の放棄、五感の放棄、寒い環境にいるという現状の放棄。……確かに意味がわからないかもしれない。百歩譲って、「死にたい」を別の言葉で言い換えるならば、「(感覚も意識も全て)うっちゃりたい」。これだったら、わかってもらえるのだろうか。いや、もうわかってもらおうとは思わないんだけど。だって、どうでもよろしいことだからねえ。

*1:そりゃあ、ちょっとした寒さで死にたくはならない。