え? 不知火なんて知ラヌイよ。

逆に、全く話さなくなってみたら…? やっぱり二度と話せなくなってしまうだろうか。それとも話せるようになるだろうか。



【1】
「対象をつかめないから自分に向くのか、自分に向くから対象がつかめないのか。対象と自分が繋がるというのは言い訳?」
「繋がるのはいいが、見方の統合なしに繋げると、悪い意味での自己完結に繋がる」
「思考と感情が一緒くたになってはいけないというのはわかるが、感覚は感情とも繋がっているように思う。その感情を排除できたとしたら、感覚もなくなってしまうのではないか」
「なんだかそれ以前の問題のような気がする。感情の排除、見方の統合、あまり現実的でない感じがする」
「だからといって、感情の赴くまま、二つの見方を持ったままでいいとは思えないが」
「感情をコントロールするだとか、何か現実的な解決法があるのではないか。完全に排除することも統合することも不可能ではないのか」
「確かに不可能に近いが…思考のみなら、感情を排除すること*1は可能だろう。見方の統合については、できるできない通り越してどうにかすべきことだ。それこそ訓練だ、慣れだ」
「ああ、ここって感じがする……! 身体を持ち、精神を持ち、自分はここのものなんだなあ…!」



【2】
「肉体は器だ、って分かる気がするねえ」
「精神も器みたいなものじゃないか」
「器というと違うだろう。それ自体がカルイという点では器と変わりないけど」
「比べるものがなかったら、それ以外のものは存在できないと言える。なら、肉体も精神もカルイなんて言えないんじゃないか」
「あれが比較対象になるのでは」
「あれ自体掴めないから対象もなにもないだろう」
「じゃあ対象はないから、肉体も精神も中身あるものなの?」
「それはなんか違う。対象がないとしても、これらはカルイものだと思う」
「なんで」
「これらには意味がない」
「全部そうでしょう。全部に意味がなくてカルイんであれば、これらを取り立ててカルイと言うことはできないんじゃないか。全部がカルイんだから、それが普通になってしまう」
「…あら、それでいいんじゃ。肉体と精神を取り立てたのがまずいのか?」
「いや、ダメでしょう。取り立てた云々ではなくて、全部がカルイというなら、その全部と比較できる対象があるはずなんじゃ」
「対象は必要か」
「対象無ければ比較はできない」
「でも、カルイものはカルイとしか……根本からえぐる感じがあるんだけど」
「その根本を包括してるものは何」
「あれ、またはあれに酷似しているもの」
「じゃあ、それが対象か」
「ダミーが対象なのか?」
「決定打にかける」




【外部】
「『君は孤独になれるようになった方がいい』」

*1:感覚でなくて。