うううう!

今週は、授業で半分まで『木靴の樹』という映画を観た。
イタリア映画。出演者は皆農民。「働けど働けど、我が暮らし楽にはならず…」という生活をする農民4家族。土地やら牛やら馬やらを地主から借り、実った作物の2/3を搾取されている。
屠殺シーンが衝撃的*1。アヒルもあれだけど、豚が、豚が。殺して、血を抜いて、お腹切って、皮はいで、内臓取り出して、中を洗って、焼く、という作業。途中から直視できなくて、わからないイタリア語と壮絶な豚の鳴き声、捌くときの音を聞いてた。
「そういう捌かれた肉を食べてるんだから、ああいうのが駄目ならこれから肉食べられないんじゃ*2」というようなことを言われ、屠殺から目をそらして肉を喰らうの?という意味で、たしかにと少し思った。今度はその屠殺のシーンの話とそのコメントを友人に言ってみると、「捌いている人はそれを仕事としていてお金を貰っているんだから、別に食べればいい」と言った。なるほど、と思った。そして、友人のいうことは反感買いやすいよなとも。
いつだったか教育テレビで、豚のピーちゃんを育てて食べる小学校のクラスを追った番組をちょっと観た気がする。その時のピーちゃんの解体は業者に頼んで、その過程を生徒は見ることはなかった。


食育っていうとき、その過程を見る必要ってあるのだろうか。

*1:講堂の大きなスクリーンってのもキツイ。

*2:トラウマになって、という意だと思う。わからん。