小さな嘔吐の弊害

誰からも侵されない領域は言葉の中にあるのかもしれない。特に文字・文章は考え方によってはそれらを発した自分さえも閉め出す。
形として残るかどうか、完全に自分と分離しているかどうかの問題か*1
自分というものも侵されないものであると考えていいのか*2。自分そのもの(本体)はそう考えていいだろう。しかし、本体を取り巻く“動き”はそうではない。“動き”は感情に近い立ち位置にある。近いというよりは…

*1:録音、絵……表現?

*2:ここでは身体の問題は含まれない。自我・自分、精神的なもの。