死地に陥れて後に生く

緊張しすぎで体調崩すなんてよくあること。そんなに行きたくないのなら行かなければいい。しかし気になるということは行きたいという気持ちがあるということ。何がそんなに怖いのかって聞かれても、自身わかっていない。観察される、理解される、把握される、できている人間*1への接触……怖いものだらけな気もする。
でも個である自分の成長(領域を広げる? 赤い丸)のためには、殻に閉じこもってはいけない。しかし、黄色い丸より外へは行けない。それをわかっている*2から、あまり自分の成長に固執する必要もないように思う。むしろ、この赤い丸を取っ払わなければいけない。



死にたかないが、死にたい。自分の個*3に流され見方の統合ができない。周りのモノに足をすくわれ、助けられ、頼ってばっかで一人で黙り込むことさえできない。
感情がなくなったら、もっと生きやすいだろう。しかし、考えることに影響もでるんじゃないかと最近思うようになった。なんというか、もう生きている時点、人間として存在している時点で、考えていることで、解決のできないものだと思う。どうすりゃいいというんだ。やっぱり死ねってか。
もっと考えていられるようになりたい。他人も何も気にせずに、黙々と一人で考え続けていられるように。
死ぬの怖いが、生きていても仕方ない。

*1:人間ができてるよね、の“できてる”。

*2:わかっているというと傲慢だろうか

*3:本能・感情・理性? 私・自分であるということだけで、それらは性質なのだが。