余波

毎回毎回、会う度に気持ちが重くなる。一体何が悪いんだろう、私の何が悪くてこうなるんだろう。
話や趣味やらが合わないことが一概に悪いことだとは思わない。意見の相違、考え方の違いは自分の見方を広げるキッカケとなるかもしれない。悪いのは、私の態度か。黙ること、相手の話題に対して自分がどう思うのかを徹底して考えそれを口にしていないこと、不理解と理解されることを怖がること。「ただ否定したいから、違うって言ってるんじゃない?」が怖い。そういうつもりはない。でもわかってもらうのにどうすればいいのかわからない。
以前の話だが。説明すれば、それは想像を超えるものだから説明もできないはずだと言われる。……それを承知で、ダミーとして、言葉で殺して、説明してるんじゃんか。完全に説明できないことも、本当は口にすることができないこともわかってる。でも、説明しなければ、外に出すことは出来ず、外に出さないことは籠もること、それは辛いことだから…だから口にしているんです。「語りえぬものについては沈黙せねばならない」というのもわかるが、そんなこと言ってしまうと、私は、何も、語ることが、出来なくなってしまう。それで困ることはないかもしれない、ただ苦しくなるだけかもしれない。要は私の我儘なのだろうか。しかし、しかし、言葉にできないものでも感覚は生き続ける。話さなければ気が狂いそうだ。語れないことは、語ったところで何か変わるわけでもない。語らないところで何か変わるわけでもない。何をしても何も変わりはしない。ならば、語らせてよ。足掻くぐらい、しなければだめなんだってば……
「この世界が理解不可能だということに気付いたら、生きるのが楽になる(と思う)」。
どうなんだろう、理解不可能と感じていない私にはわからない。理解できるとも思っていないが、理解不能ということがどういうことかがイマイチわからない。いや違う、二重に考えているのだろう。理解不能だが、今現在のここにいる私が苦しいこととは別のこと、と分けてしまっているのだろう。理解不能だからこそ、その根幹に苦しめられるのではないだろうか。
話す勇気がでない、いくじなし。
追記:この世界が理解不可能だとわかったとしても、その世界の中に存在する人間が作る小さな流れに悩まされるのだから、あまり関係がないようにも思える。


プラス。今回どころかこの人に全く関係ないこと

個人的な感情について、私が口にしたことは覚えている。あるときに「そんなこと言ったけ」とはぐらかした(?)ことを、何故か思い出し、今更ながら、悔いている。ただ、話の内容は覚えていないが。嘘をついたみたいで、なんだか気持ちが悪い。
自分の感情には責任を持っているつもりだ。