じゅ とぅ う゛

本当に不思議に思う。
以前、某先輩から「お前何でそんなんで生きてるの?」と言われて、後から「死にたくないから生きてる」と(自分に)答えたけれど、それって少しずれた答えなのかもしれない。
確かに何故わたしは生きてるんだろうか。勿論死にたくないからなんだけれど、それ以外に理由はないのだろうか。何かに生かされているとかそういうんじゃなくて、生きる理由。
以下、適当に理由になりそうなものを挙げる。

  1. 子孫を残すため、血を繋げていくため
  2. 天国(またはそれらしきもの)へ行くため、地獄(左に同じ)へ行かないため(に自殺をしない)
  3. 自分に課せられたこの世での使命を全うするため

1つめ、高校でお世話になった顧問が言っていたこと。大学1年の頃、やりたいことが見つからない・人間生きてる理由なんてないんだと泣いて相談しに行ったら先生はこう言ってた。

「そうだよ、生きてる理由なんてないんだよ。あるとしたらお前さん、子供を産んで育てて次に繋げていくことが理由だな。そのために生きてるんだよ」

話を聞いていたその時は、何か違うと違和感を感じていて納得できなかった。今もその違和感はわかる。けれど今は納得もできる*1
でも、どうなんだろう。ただ血を繋げていくということだけで生きていけるのだろうか。死んだら何の意味もなくなってしまうのに? そこに何かしらの意味を見いだすのだろうか*2。先生は何かしらの意味を見いだしたのだろうか。
人間は宗教無しで生きていけるという証拠になるだろうか*3
何にしても、わたしが生きる理由にはならない。まだ若いからかもしれないが子供が欲しいともほとんど思わないし、それ以前に子供を育て血を繋げていくということもそこまで重要ではないと感じる。その血の繋がった者が何なのだろうか。それは他人であり、わたしではないのだ。遺伝子が受け継がれていくことを自分の生きた証が残るということだと考えたとしても、それが何なのか。証は残っても、それはわたしではないのだ*4。生きることはわたしを保持することであるんだが……*5


2つめ、宗教的な何か。これはどうなんだろう、「死に対する恐怖を和らげるためにあるもの」という色が濃い気もする。ということは、死を恐れないために生きているということだろうか。死を受け入れるために生きる? 少しオカシイか。受け入れるも何もそれは絶対*6にやってくるものなのだから、「受け入れるため」というのはオカシイ。ならば「死ぬため」か。死ぬために生きているのか。的外れではないのだが、この答えはまるで筒の入り口と出口をつなげたようなもののように感じる。中がスカスカする。……というか、もしこれが答え*7になるとするなら、1つめよりもシビアなものになる。より直接的で、宗教特有の“柔らかさ”が消えてしまっている。宗教の働きがなくなってしまってはいないか。否、そこで出てくるのが「あの世」だ。あの世に意味を詰め込んでいるのか。そこで宗教的な働きが活性化されるのか*8


3つめ、これも宗教的な要素が含まれる。2つめ*9とそれに該当しない「この世」に意味を持たせる宗教がここに関わってくる。これには「神」という存在が、今現在生きている自分に関わってくる。
この世を対象にしているが、これは2つめの中に入っているものだと考えてみてもいいだろう。この世+あの世。ただし、3つめはこの世の占めている比率が高い。
2つめも3つめも、わたしの生きる理由にはならない。それらの存在が問題にも答えにもならないから。
やっぱり理由はないのか。大きな括りとしての理由はないか。
「生きていく理由」という問題が広すぎる意味を持ったままになっている気がする*10。もっと絞ってから考えるべきだろう。

*1:納得はできるがそれが全てでない。こたえのひとつだから。

*2:個人的な理由の設定が関係してくるだろう。

*3:全くならない。弱い。血を繋げていくこと自体に宗教的な意味が含まれることも十二分に考えられる。ついでに、先生は死んだら天国も地獄も魂もなく無に還ると考えているらしい。

*4:すごい自己中心的な考え方だなとも思う。

*5:「死にたくないから生きる」と同義。

*6:可能性は別として

*7:こたえなんてないんだけれど、表記的・思考的な問題によって使わせていただくよ。

*8:といっても、この世に意味を持たせる宗教もあるだろう。これは3つめに該当すると考える。

*9:天国などに行けるために善行を積むなどの「目標」も当てはまると考える。

*10:個人的な理由は省いてはいる。