満面の笑顔で「おかえりなさい」

この考え方は崩れないと思っているが今は少し揺らいでいる*1。何がどう揺らでいるのか。
自分の考えを破れない・それに嵌ってしまうということ。ここが気に掛かる部分。それは、考えている私をも含んで動いていくものと考えている。考えていなくとも私を巻き込んでいると考えている。ここが「嵌っている」部分であるのだろう。しかし、嵌っていると自覚していてもそれに巻き込まれていることには変わりはないし、それは考えている以上にフヘンテキはものであるからそれから外れることもできないであろうと思う*2。揺らいだのは私であって、この考え方に問題はないのだろうね。

*1:これを書いていたらおさまった。戻ったというのか

*2:それの存在を否定し、考えなくなったとしても、それは軸がそこからずれたということであってそれから抜け出たということにはなりにくい。軸の置き場に問題があるのだが、その軸をも包括しているとも考えることができるために、やはりそれはあると言えてしまうのではないだろうか。この喰い合いは延々と続く。“包括するという暴力”