すれども

私であり、人間であり、存在するものであり、ここのものであるかぎり、ここの流れに逆らうことはできない。
人間としての人としての自分にも逆らうことできないし。
神にすがりながら、神の外を考えることはおかしいこと。
考える私と生きる私との距離はどのように縮めるか。
これはこれ、それはそれで考えて良いのか。
いや、考える私と生きる私の距離は縮めなければならないものなのだろうか。
私は人で人間で私なのだから、これでもいいのではないか。
ただ、これでは考える私が少ないというだけで。
生きる私に考える私が食い込めば、きっと面白い方向に進むだろう。だから距離は縮めるべきなのか。
しんでなーい!