大海に放り込まれた米粒ひとつ

自分の感情抜きに考えれば「一人で何もできないならそこまでだ」と思う。
自分の感情込みで考えれば「うっちゃれない。うっちゃることはしたくない」と思う。
時間が経つと「うっちゃること自体が無理なんじゃないか」と思う。
うまく言えないけど、自分の考えの中に自分がいるような気がする。
自分がそれについて考えなくても、それについてわからなくても、それは自分を呑み込んだまま流れつづける。当たり前のことなんだけど。
自分の感覚に基づいて話をしているからというのもあるんだろうけど、考えと実際の感じが衝突しない。それが証明にならない証明。
えらく傲慢とも言える。自分の考えが正しいと言ってるんだから。
……いや、間違っていると思いながら考えてはない。私なりに正しいと思っていることは確かだ。
現実味が無いという話も、私の中では現実味を帯びている。
それは確かにあって、それらは確かに私に私の周りの存在に触れている。
多面的な答えのひとつ、そのシッポを掴めてはいるが……。
文章にまとめられないことに唖然。
それらと考えている自分の関係性に改めて唖然。
色んな意味で「意味がない」ことに改めて