全肯定
全肯定できる。できるが、できると考える土台は私の頭にある。
例え、私の頭の外にある他人の考えをも包括して肯定しても、その土俵は私の思考だ。
ならば、全肯定は私の思考のみの効力しか発揮しないのだろうか。

私の思考は、軸が私にある。誰かの思考は、軸が誰かにある。
純粋な客観性などありえないのであるなら、全肯定はこれまでどおり私の外に在り続けることだろう。では純粋な客観性がありえるのであれば、全肯定は姿を消すのか。
否、そうではないだろう。全肯定を否定する“道標”*1が、ここには存在しない。






“道標”が存在するとも考えられるが…………

*1:的確な名ではないため仮名とする。