掃除しながら世迷い言

卒論手直ししたのはいいが、無理矢理感と尊大さが2割り増しになった気がしてならない。
本当は書いたものをバラバラに崩し、それら一つ一つを別々に書いていって最後に統合させるといいんじゃあないかと思う。枝じゃなくて、苗木。そうすれば、もっと綿密になるんじゃないか。…別に重要なことでないが。


終わらない。


最初の頃に書いていたものを引っ張り出してみた。完全に自問自答形式で書いていた。
文章を書くとき、私は自分に話しかけている。自分に話しかけて、自分でこたえている。相手を想定して説明をしようとしていても、想定したもの自体他人のフリした自分なわけで、いつの間にか独り言になっている。自問自答。そりゃあ禅問答になるし、論文という体裁にはならないや。それどころか文章としてどうなのという話にもなる。
でも、文章を書くこと自体、そういう己との対話とでも言えるような側面を持ち合わせているのではないだろうかと思う。良い*1人は、その己を他と想定するのに長けてるのかもしれない。それか、対話的な側面はそこまで強くないのだろうか。これは私のクセのようなものなのだろうか。
そして。今書けない理由・原因のひとつとして*2、今まで言ってきたことをくり返すのは無駄だと思っている(らしい)ことが関係しているのではないかと思った。同じ内容を同じ言葉でくり返すことに意味があるのかと聞かれれば、無いとしか答えられない。あるなら教えて欲しい。何度も何度も同じことを繰り返して文章にする意味。…強いて言うなら、自己満か。というか、これ自体が自己満なんだから今更何をって話なのか。卑下卑下卑下卑下!


潰す順序を間違っている。しかも潰せてないし。重要なことに余計なことが付いてくると、よろしくない。……どうしてこうなった。土曜前に終わらせる。要領悪くてやること多いって、終わってる。

*1:頭でも文章でも、表現する能力がある(高い) 

*2:そんなことしている場合じゃないとか諸々大きな理由はあるけれど