能ある鷹は爪を隠す。爪のない、よく分からない鳥は、無い爪を隠すフリをして何か変わるのだろうか。
担当教員が言っていたのは「馬鹿にされていろ」ということであって「馬鹿であれ」ということではない。私の場合、馬鹿にされる云々以前に、れっきとした馬鹿であるため、自分の利益に結びつけられそうもない。…救われん。
元が馬鹿でないからこそそれが利益につながるのであって、元が馬鹿なればそれはただの………。じゃあどうすればいいのか。馬鹿を卒業すればいい、馬鹿にされた状態のままで。馬鹿にされる状態を保つのはたやすいが、馬鹿卒業は難しい。簡単に卒業できるなら、とっくにやめてる。
大体、理解するってどうしたらできるんでしょう。理解するってどんなことなの。説明できれば理解したことになるだろう。じゃあ、私、何も理解してないや。本当に何も理解してない。自分であきれちゃうほどに、何も何も何も何も何も何も何も何も何も知らない。上滑りする。無知でも学習していけばいい、理解していけばいい、でも、それができない。勉強だけの話ではない。上滑りする。どうすりゃ理解できるんだ。理解するってどんな感じなんだろうか。いや、理解って何。わかるってなんだ。自分が自分であるとわかってるから、自分のことについて説明できるかといったら、べつに説明できない。それは自分という“動き”の話でも、個人としての自分についても言えること。何かおかしくないか。理解って何だ、わかるってなんだ。信偽と似ている。積極的なそれと消極的なそれ。消極的なそれは理解と言えるものではなく、それに達していないものではないか。否、そこにも種類が存在している。深さ?