目の前真っ暗

肯定できる“逃げ”と否定すべき“逃げ”というものに分かれる気がする。
肯定できるものは働きかけの“逃げ”であり、さいごの手段としての自衛の“逃げ”。否定すべきものは働きかけのない“逃げ”であり、余白ある自衛の“逃げ”だ。
私は今、後者で突き進んでいる。

不完全にも度合いがあるだろう。見限られるのが今一番怖いことだなあ。