2009-06-26 目の前真っ暗 自 肯定できる“逃げ”と否定すべき“逃げ”というものに分かれる気がする。 肯定できるものは働きかけの“逃げ”であり、さいごの手段としての自衛の“逃げ”。否定すべきものは働きかけのない“逃げ”であり、余白ある自衛の“逃げ”だ。私は今、後者で突き進んでいる。不完全にも度合いがあるだろう。見限られるのが今一番怖いことだなあ。