一人歩むのは誰? 

図にするとアラが見える? 大体図にできるものでもない……と言ってしまうのは単なる言い訳になってしまうか。何故、図にするのか。そう感じるから。説明しやすくなる気がしたから*1。しかし、実際は違うのかもしれない。図にしても“動き”は表せないし、図にしたらそれは違うものになる。図であって図でないもの。頭のなかが一番近い気がしてならない。気がするとしか言えないがね。

あれから逃れるすべは本当にないのか。それの存在を否定してしまえば、逃れられるのではないか。
否、軸の問題だろう。自分は今、それの存在がよくわからなくなってしまった。何かあるのはわかるのだが、それがそれだと言えるのかがわからない。もしかしたら、あると感じているのは何かの間違いであるとも言えるかもしれない*2
マルクスの話が出た。よくわからないけれど、マルクスと貨幣の話。色々話ししていたはずなのに「マルクスは自分の考えを破ることが出来ずに」という言葉しか残っていない。自分の考えを破ることができないと落ち込む。
ここから逃れられないということが言いたかった。けれど、失敗。勝手に話をずらしてしまった。元々は経験前後の自分は同一と言えるか否かだったはず。

海外旅行に行きたいと思わない。何故?行っても(ここにいるということが)変わらないから。何かを経験した後と前で変わらないということ?違う、それらによって自分に変化があることはある。けれど、それは小さな変化でそれが大きな変化*3を生むことはない。→(以下色々)

隠しながら説明するのは無謀。話すなら、基の基、根の根から話さなければいけない。自分の考えの不通具合に凹んだ。



私はあまりに脆い、弱い。もっと打たれ強くならねばならない。人から否定されたり人にわかってもらえないと一々凹むなら、やっぱり黙るのが得策なんだろうけれど。

*1:カタチのないものにカタチを与える、図にすることも当然殺していることになる。説明しやすくなる気はするが、それ自体だけでは不適切。確実なコトバ・説明を加えなければならない

*2:何もないとも言えるか。でも、“なにもない”を含んで……

*3:存在を巻き込むような。ここでは可能性は含めていない