燃えろ、善い女!

先日友人と食事をした。友人は正義感が強く、あらゆることに義憤を感じているようである。温暖化のことや教員不正採用のこと、政治家が汚いのは何でなんだとも怒っていた。私は友人の気持ちがちょっとわからない。自分に関係のないこと*1に対して何故興味がもてるのだろうか。開いている人なんだろうなあ、多分。
「もし戻れるとしたらいつに戻りたい?」と以前人に聞かれたという話もした。私は、戻ったとして今知り合っている人々と再び知り合うことができるかはわからないから戻りたくないと答えた。それを聞いて友人は言った。「“もし”って意味がないから、その問い自体が意味ない」と。
友人は“可能性”を否定しているのだろうか。今あるこれらは全てが“必然”であると考えるのだろうか。過ぎてしまったことを考えることを否定しているのだろうか。“仮定”が意味ないと言っているのか。必然であるとは考えていないだろうが、何だろう、何かつっかかる。
追記:過去の仮定に意味がないということらしい。

*1:環境のことに対してこんなことを言うのはどうなんだろうね。表現が好ましくないなら、自分とは遠いところにあるものと言ったほうがいいかもしれない